2012年7月31日 Day5
朝早起きしてカガン駅へ。駅はこじんまりしていて、駅の中に入るにもホームに出るにもチェック。出発1時間前から列車に乗れるらしく、さっさと中に入りました。いわゆるソ連のイメージのある列車で、タラップを登って入ります。が、中は新幹線みたい。指定席のはずだったんだけど、自由に座っていました。
検札時にお願いすると、車掌さんが1000スムでレモン入りチャイを入れてくれます。お盆にのせてあとから持ってくるのがかわいらしい。あとはテレビがついていて、いかにもなB級映画が流れているんですが、結末に乗客みんなが苦笑。私でさえ言葉がわからないながら、映像をみているとなんじゃこりゃ、という内容だったから、当たり前か。
ナヴォイで一回停車。途中で、新聞とかホットドックとか売りにお姉さんが回っているので、日本と一緒だね。ちなみにトイレに入って、水を流すと思われるボタンを押したら、便器の底がパカっと開いて、地面が見えました。あれって、出したものがそのまま外に流れるのか…見なかったことにしよう。
駅到着後、タクシーを拾いました、10,000スム。宿は予約しておらず、ネットで評判の良かったところに飛び込みで入ることに。
www.booking.com
サマルカンドは、道は整備されているし、車も多い。第一印象は「都会」でした。
ホテルは飛び込みOKで、ドミも個室も空いているとのことでしたが、お値段そんなに変わらなかったので、個室に決めました。鶏が放し飼いされていたり、子供の泣く声が聞こえたり、活気があって現地の生活って雰囲気が良い。中庭でお茶をもらっていたら、日本人のチャリダー夫婦と会いました。真っ黒に日焼けしていて、オランダから開始して、年内に日本に戻るとのこと。今までの旅を聞くと、軒下を借りて野宿したり、テントを張ったり。イランはおすすめとのこと。行きたい。ふと見ると、荷物がどっさり積まれた自転車が置いてありましたが、持ち主はビザを申請しに、タシケントに行っているとのこと。こういう自由さが長期旅行者だなーとうらやましくなりました。私もやりたいけど、安定した生活を捨てきれないところが弱い。
ここまでみんなが同じデザインの食器を使っているって面白いよね。こういう宿のあるある、湿気たビスケット(笑)
お茶をもらった後にお別れして、念願のレギスタン広場へ。
宿の裏の道からすぐに広場へ向かう道があります。もうこの遠目で建物が見える状態で、あまりの嬉しさに泣きそうになりました。
広場に到着。あまりの巨大さに遠近感が狂う。
私の目がおかしくなったかと思うぐらい。
青い空に青いタイルが美しい。中にも入れますが、13,000スム。なかなかの高額チケット。中はほとんど土産物屋。ただ、12‐13時ぐらいに入ったからか、お昼休み中のところがほとんどでした。
顔があるぞ!
ここから、グーリ・アミール廟とルハバット廟に行くことに。結構歩いたな。
噴水工事中
大通りをひたすら歩く。
これはどこだったかな?
おばちゃんたち、気前よくモデルになってくれたし、暑いから日陰に来なさいよーと優しかった。
www.tripadvisor.jp
グリ・アミールでは、中の係の人が、ご好意でなんと日本語でガイドしてくれました。4月まで日本にいたとのこと。ティムールの歴史をすべて教えてくれました。
お名前忘れちゃった、ごめんなさい。
お墓の配置とか。まずはお墓ではティムールの先生がいるのですが、偉い人なので頭の上。ティムールの一人目の孫は、早くに亡くなった長男の子だったようですが、ティムールよりも先に亡くなっています。ティムールの次の王も。
ミナレットが27mとか、屋根まで36mという数字にはそれぞれ意味があるとのことでしたが、メモが残っていない(ダメ。また屋根は二重構造になっていて、窓があるおかげで、気温湿度が一定に保たれるとのこと。
これは確か、横から見ると何かにみえるでしょ、って説明してくれたんだけど、何かが思い出せない…
暑いので、また宿へ避難して涼しくなってから、散歩→レギスタン広場へ。
ライトアップされるとの情報があったので。何時からかは分からずぼーっと待っていたら、日本語で話しかけてくる男性が。なんとタシケントで日本語を勉強しているとのこと。練習をしたく話しかけてきて、しかも名古屋大学への留学を目標にしているとのことで、びっくりでした。こういう積極性、私にはないよー。本当に尊敬します。(ちなみにその後、本当に日本に来て勉強しています)日本語の先生は女性とのことですが、SMAP好きで先日は寿司パーティーをしたとのこと。楽しそう。
タシケントから他の街へ出たことがないとのことで、今回初の旅行だったらしいですが、タシケントとサマルカンドは方言がすごく違うらしく、通じなくて驚いたとのこと。
22時からショーが始まるらしいとのことで、彼のお友達と一緒にアイスを食べたり、ぼーっと待っていました。4人ぐらいのグループで旅行しているらしいですが、リーダーの子は5か国語できるというし、一番若そうな子はチャラそうに見えてとにかく紳士だし、ウズベキスタンの若者の雰囲気がわかって、とても楽しい時間でした。結局ショーはなかったけどね。
ちなみに8月1日は大学入試試験の人のことで、騒がしくなるとのことでした。
ここで宿に戻ると、自転車の持ち主が戻ってきていました。Kさん。私より5‐10歳ぐらい年上かな。普通に社会人をしていましたが、9.11があってから自分のやりたいことをやるべきとのことで、自転車で世界を回っているとのこと。自分の中で10年と区切っているらしく、この時お会いしたのは、最後の旅だったようで、ヨーロッパ→日本への移動中でした。結局、タシケントには中国ビザを取りに行ったのに、発行されなかったらしいです(笑)
そのうち他にも日本人のバックパッカーの人が集まってきて、旅談義で盛り上がりました。上は50歳過ぎの仙人のような男性、元JICAの40歳ぐらいの女性から、歩いて世界を回っている20代の女性とか。みんないろいろなハプニングとか経験があって、面白かった。こういう話も聞けるから、旅がやめられない。
ちなみに私の部屋は電気もつかず、暗闇の中での水シャワーでした(笑)