2017年7月26日 Day5
いい天気。やっぱり同室の子は寝坊気味。流石にずっとは寝ていられないので、7時ぐらいに朝食。寒いぐらいの気温だけど気持ちいい。壁に囲まれていてとても静かで、他に人は住んでいないのでは、と思うぐらい。
今日はトンネルに行く予定で、10時に迎えが来るはずだったので、9時ごろ一旦、散歩にでることに。
バシチャルシアも準備中。朝食をとっている人もちらちら。
羊…?の丸焼き。
トンネル博物館は、街からちょっと離れていて、しかも公共交通機関を乗り継いだ上に歩くらしく、面倒くさがったアラサーはさくっと現地ツアーを頼みました。
(同室イラン人の子には、金額高いねーって言われたけど、短期旅行の社会人はときには時間をお金で買うのです。)
ホステルに宿泊していたから、ドライバーさんが迎えに来てくれるのか半信半疑だったんだけど(笑)申し込み後に何も確認の連絡もないし、ドキドキしていました。大丈夫、10時にきちんとお迎えに来てくれました。
因みにツアーと書いてあるけど、個人ツアーで私のみ。ガイド付きって書いてある割に、ドライバーしかいないなと思ったんですが、たぶん現地にオーディオガイドがあったので、それのことかな。ネットで見ると、現地の方をガイドでお願いして行ったほうが良い…と書かれている方がいるので、ちゃんとしたツアーに申し込めばそうなんだと思われます。このツアーは、単純に料金は送迎料と思ったほうが良いかも。
スナイパー通りをずっと走って、空港の反対側に博物館があります。閑静な住宅街に。「peaceful」という言葉がぴったりな場所。
因みにドライバーさんは22歳の若者でした。英語OKで、バスターミナルでのこととか、疑問に思っていたことを質問攻めにしていたら、到着。
知らなかったらうっかり通り過ぎるような普通の住宅。でも当時を物語る銃弾の跡。ここにトンネルがあるのです。
入口では係員のお姉さんに、ビデオ→資料館→トンネルで回ってね。とアドバイスをもらいます。当時の映像がリピートされているので、まずはここでビデオを一通り見ます。たった4か月で完成させて、浸水してぐしゃぐしゃになっている長いトンネルを、子どもも女性も通っていたこと。
国連の管理下になった空港がどれだけ重要だったか。ユーゴスラビアの歴史は多少は本などで知っていましたが、サラエボについてはこの地図を見た瞬間、その悲惨さにやっと気づきました。
入口の住宅は資料館になっており、本当に狭いですが展示があります。またスマホがあれば、この中でのみオーディオガイドの役割をしてくれるシステムになっていました。
トンネル内でレールを引いて、運搬に使用したり、
この住宅からトンネルがどう伸びていたのかを展示していたり。
そしてここの地下から、当時のトンネル(25mしかない)へ入ることができます。
身長160cmの私がかろうじて立って頭がすれすれの高さ。多くの人は腰をかがめて通らざるを得なかったのでしょう。
因みに入口には、この住宅の持ち主に関する説明もありました。ざっと読んだところで、このトンネルはこの家の一家が自主的に残すように働きかけたおかげで、今でも残っているとのこと。残りのトンネルはすべて埋められて残っていないとのこと。全く何のサポートも無かった中で、歴史を伝えるものとして必要だと信じ、守ってきたとのことでした。「政府」とか「民族」とか、何かわからない「集合体」と「個人」の信念・行動の対比がちくちくと胸に刺さります。
庭にはこんな展示もあるのです。
じっくり見て、もう一回ビデオも見て、たっぷり2時間いました。ドライバーさんには旧市街入口で降ろしてもらい、お昼ご飯は気になっていたマクドナルドへ(笑)
新製品だったらしいカエサルバーガー。で、でかい。(おいしかった!)
のんびりしていたら、そろそろ出発時間が近づいていたので、あわててホテルへ。荷物をピックアップして、バシチャルシアで3番トラムを待っていたのだけど、1番しか来ない(笑)15-20分に1本ぐらい来るって聞いていたのに、30分以上待ってやっとくる始末。3番トラムを目当てにしてる人がどんどん集まってきて、1番が来るたびにやれやれって顔を見合わせる(笑)
この建物が終点なんだけど、実はこれ鉄道駅でバスはこの左側の裏にある。知らずに入ったら全くバスの雰囲気がなくて焦った(笑)インフォのおばさまに笑われた(笑)
お久しぶりねのユーロライン。カウンターは2か所+両替所あり。
そっけないレシートがチケット替わり。裏のバーコードは、乗り場に入るためのゲートで使用。
何とトイレ付。久しぶりに見たな。バルト三国以来かしら。でも使えるかは不明。途中のバス停に止まりつつ、モスタルへ。
大自然を見ながらひたすら昼寝をする。。。
モスタルのバスターミナルは、結構大きくて立派です。でも人はあんまりいないけどね。ひとまず翌日のバスのチケットを買っておくことにしました。(だって絶対ドブロブニク行は混んでるもの。。。)
なんと、中は広いのにおばさま1人のみ・・・!ちょうどサラエボ行が来るそうで、急ぎのお姉さまたちを優先。でもPCフリーズ・・・ぴーんち。
どうやらドブロブニク行は、1日5便。7時、10時15分、12時半、17時40分、25時。10時は早すぎるので、12時半でチケット購入。
今後のご参考に。
専用の用紙に印刷してくれるので、ちょっと嬉しい。32マルカ。
チケットも手に入ったので、宿へ向かうことに。
ターミナル近くの興味深い建物。
カフェの立ち並ぶ道をひたすら歩くと、宿にたどり着きます。
今回の宿はこちら。
宿は橋からすぐ近く。個室で、地下のキッチンにはフリードリンク。レセプションのお姉さんが親切で、色々と教えてくれたので、申し分なしの宿でした。
(ボブスタイルをみて、韓国人で男の子かと思った…とな。そりゃー色気も化粧も無いからユニセックスに見えたのか。色々と突っ込みどころがあるお姉さんでした(笑)
ちょっと休んで、まずは橋へ!!実は明るいけれど結構な時間だったので、博物館関係は閉館済みでした。
土産物屋や、カフェの立ち並ぶ観光地の道を歩く先に、スタリモストが!
アーチは結構急角度で、足元の石はツルツルなので、転びそうな人続出。
歴史の跡。
反対側にもお土産物屋がたくさん。
ちなみにサラエボより、モスタルのほうがこういうお土産は安いかも。実はコーヒーセットの中にある蓋付きの入れ物だけをバシチャルシアで買ってるんですが、モスタルの表示価格のほうが安かったもの。(複数個買ったんですが、サラエボでは1個500円ぐらい払った記憶が。モスタルは記憶では300円ぐらい?が表示価格でした。)
見た瞬間、やっちまった…と思ったので。
こういうのは万国共通(笑)
そろそろお腹が減ってきたので、レストランを探すことに。本当は橋の手前に宿のお姉さんが割引チケットをくれたレストランがあったんですが、ウェイトレスさんたちが民族衣装を着ているところだったので、案の定行列。草々にあきらめまして、向かいの奥にあったレストランへ。
流石観光地。チェバピ一択でした。
ここは実は川沿いのカフェで、お願いしたら、ちゃんと川の見えるところのテーブルに案内してくれました。食事よりもこの立地!
だって、日が暮れていく中、橋を眺めながらのんびりできたんですもの。やっぱり日が暮れゆく時間帯が、一番好きです。少しずつ街灯がついてきて、日が落ち切る前の青い空とのコントラスト。Magic hourとか言われるこの瞬間は、日本にいるといつの間にか過ぎてしまう。旅に出るたびに、こういう瞬間に立ち会えることができて、嬉しくなります。これだけでこの一日は良い日だった、と思うくらいには。
アイスを舐めながら、土産物屋を冷やかしつつ、ホテルへ帰ります。