2017年7月24日 Day3
アブダビ→ベオグラードは約6時間のフライト。3列ー3列の何とも中途半端な規模の便。セントレアで振り替えた時点で、通路側の席は確保できていたので、まずは安心して乗りました。因みに元々の便はエアセルビア運航でしたが、変更後はエティハドの運航でした。途中1回機内食が出ましたが、とにかく眠かったのでパス。しかし深夜便なのに赤ちゃん連れが多かった。前後の席にお子様がいて、なかなか騒がしい移動でした(笑)
さて、オリジナルの便(EY5995)は、23日12時すぎにはベオグラードに着くものだったのに対し、振り返られた便(EY71)は、24日5時50分に到着予定のものでした。
実はここで問題が。もともとの予定では、23日PMでベオグラードの観光をして、24日の朝にヴィシェグラードに行くバスに乗って移動しようとしていました。バスは7時発。もしこれを逃すと17時発(笑)なぜこんなへんちくりんな時刻表なのか。
ともかく、7時のバスになんとしても乗りたかったのです。4時過ぎから、早く到着しろ~!と神様に祈り続け、やきもきしていたのです。ネット情報では、空港→バスターミナルはタクシーで20-30分。バスのチケット購入の時間などを逆算すると、遅くとも6時15分にはタクシーに乗らないと間に合わない。もう頭の中でどう動くかシミュレーションをしていました(笑)
(因みに間に合わなかった場合は、ドブロブニクを犠牲にして1日ずつ予定をずらすつもりでした。ただし、ホテルのキャンセル料が発生するという最悪パターン)
さて、結局着陸は5時40分。そこから入国審査(列はあれど早かった!)をパスして、Baggageの場所には6時前に到着。よし、これなら間に合うぞ、とフロアにあったATMでセルビアディナールをキャッシングし、あとは荷物がでるのを待つのみ。
ここの空港は小さいの早く荷物が出てくると予想していたのですが、まてど暮らせど出てこない。ローカルの人も明らかにイライラしていたので、私の感覚は間違いではなかった。もう間に合わない…と思った6時20分過ぎに、出てきました!!
これだけ乗り換えする前提のフライトだから、機内持ち込みにする前提でパッキングすべきだった、私のバカ!と落ち込んでいた時だったので、助かった!
すぐさま外に出て、目の前のカウンターでタクシーのチケットをもらい、無事にタクシーへ。東南アジアみたいに、一旦受付カウンターで行先を告げて、チケットみたいなものをもらって、乗り場に行くというシステムです。お値段は、街中までで1800RSD。
最初は1本道でやきもきしましたが、途中から高速道路に出て一気に進みます。
結果、6時25分に空港を出発→6時40分にバスターミナルに到着という、ウルトラCが実現!チケット売り場へ走り、7時のヴィシェグラード行を頂戴!と叫び、無事チケットと乗り場に入るためのコインをゲットしたのでした。しかもトイレにいく時間あり。」(ちなみに売店でパンを買う時間もあったけど、買わなかった。これは後悔…)
チケットは1906RSD、トイレは50RSD。
駅の改札みたいなところにコインを入れて、乗り場に入場。ここは他のバルカン地域でもよく見るシステム。バンみたいな大型車で6時間は嫌だ…と思っていたので、一応観光バスで安心しました。また、今回訪問した地域は、みんなバスで荷物をトランクに預ける際に小銭が必要でした。(去年のバルカン東南地域には、なかったはず…) ここでは確か70RSDぐらい。車掌さんが英語NGだったのと、急いでいてひとまず何枚かお札を見せて必要な分を取ってもらったので、正確な金額は不明。お釣りを見ると、そのぐらいだったはず。
車窓はコーン畑か、小さな町か。いくつものバスターミナルを経由するので、ベオグラードではスカスカだったバスも、ウジツェあたりで満席に。因みに、Mokra Doraという観光地に近い場所で明らかな休憩がありました。
いわゆる山頂のレストランみたいなところ。でも、トイレは探したけど見つけられなかった…10-15分ぐらいの休憩で、人によってはレストランでサンドイッチみたいなものを注文してバスに持ってきていたりしていました。いわゆる売店はないので、結局手持無沙汰でぼーっとしていました。
ここを出発すると、すぐにボスニア・ヘルツェゴビナの国境です。
出国時は制服を着たお兄さんがパスポートを回収。そのままバスは動きだし、入国後になぜかヒッピーみたいなお姉さんがバスの中を回って返却してくれました。ホットパンツにガムを噛みながら、楽しそうに返却していくお姉さん。謎の人物でした(笑)
ちなみにボスニア側は入出国時には、スタンプはありませんでした。空路だったらあるのかしら。
ヴィシェグラードにはバスターミナルがなく、なんと街の道の途中で降ろされます(笑)さて、宿まで歩くか…と思ったら、なんとオーナーが迎えに来てくれていました!
到着予定時間を事前にメールで聞かれていたからか。まずは街を紹介するよ、と年季の入ったVWの車で、街を一周しながらどこに何があるかを教えてくれました。それからせっかくだから、と丘の上にある教会へ。(坂がきつすぎて、きっと一人では行かなかった…)小さくて、誰もおらず、とても静かで心が落ち着く場所でした。
そこからはひとまず宿へ。アパートの1階の部屋を宿にしていて、家は妹さんの持ち物らしい。オーナーのAさんは、英語は時々難しいけれど、とても優しく素敵な方でした。部屋を見せて、じゃあ!っていうので、いやいやチェックアウトはどうやったらいいの?宿泊費はいつ払う?とか質問攻めにしていたら、どういう流れになったのか、「まだドライブに行くよ!」と再度外へ。
まずはツアリストインフォメーションに連れてってくれ、スタッフのお兄さんにMAPと翌日のバスについて、聞くことができました。
そこから、再度車に乗って、山の中にある名所を案内してくれたAさん。保養所があり、公共のハマム(ただの水でしたが)があったり。ハマムの横にはレストランがあり、ちょっと休憩。お互いのことを話していたら、ビールが出てきて名物のプレスカヴィチェや、チェバピが出てきて、結果的にお昼ご飯を一緒に食べることに(笑)。いやーおいしかった!
Aさんは、私の父と同じ年で、昔は海軍にいたとのこと。柔道黒帯!今は引退して、ヴィシェグラードに移って、キャンプやドリナ川のクルーズなどを提供する会社のオーナーでもあるそうです。もし、興味があればぜひ、下記をご覧ください(英語ではないけれど)。
お腹も膨れ帰ろうとしたら、隣のテーブルのご家族が、どうやらAさんのお友達だったようで、彼らのブレキを少し持たせてくれました。名物だから食べて、と。バルカンの地域の人は皆、旅人に親切です。
アパートに帰り、Aさんとはお別れ。ちょっと部屋で涼んでから、目的のソコルル・メフメト・パシャ橋へ行くことにしました。今回の旅行の目的の1つが、この橋を見ることでした。一応、世界遺産。春ごろにイヴォ・アンドリッチの『ドリナの橋』という小説を読んでいまして、その主人公(!)がこの橋なのです。
再建されているので橋自体は、新しいです。でも周囲の青々とした山とゆっくりと流れるドリナ川の上にかかっている美しい光景をみていると、人間の小ささを感じます。小説では橋は変わらず、橋の上の人々の生活が時代と共に変遷していく姿が描かれています。
ここから3分ほどの距離に、アンドリッチの家がありますが、資料館になっているわけでもなく、ただ家が残っています。
この後も今回の旅行先では、アンドリッチの姿や名前をあちこちで見ることになります。「ユーゴスラビア」の小説家として、偉大な存在であることを感じます。
夕日がつらい…ということでもう一度宿に戻り、ちょっと薄暗くなってから、もう一つの観光地のアンドリッチグラードへ。ここは商業施設が集まったエリアで、本当はたぶんもっと賑わっていて、色々なお店が並んでいる…はずの場所なんでしょう。コンセプトは。時期が悪いのか、これが普通なのか、あまり観光客は多くなく、お店もやっているのかやっていないのか。観光地としては大事な施設になるはずなんだけどな。
カフェでアイスクリーム食べながら、日暮れをぼーっと眺める。
完全に暗くなってくると、人々がわらわら出てきて、橋周辺のレストランがにぎやかになります。こっちの人はそういう生活スタイルみたい。
なんだか、日本の生活がばからしくなってくる光景です。人生を楽しむって何だろうね。